安堵と不安の狭間にて

何かをしていないと不安だった。
とにかく不安だった。

少しでも自分がそこにいる事を、
そして、自分が色んな意味において役に立つ存在であることを、
周囲に知らしめるために奮闘していた。

そして実態がどうであれ、気楽そうに生きている(少なくとも自分にそう見えた)人たちの生きざまを「消費的な生き方」と形容し、うっすらとした軽蔑のような念を抱いたりもしていた。

いま思い返すと、もはや自分が何にそこまで駆り立てられていたのか分からない。
自分がそれに当てはまる適切な言葉を知らないくらい、きっと色んな気持ちが重なり合っていたのだと思う。

しかし少しばかり時間が経ったいま(大げさに言うと、自分が理想として描いた未来像から決定的に逸れることが起きてから)、すっかりその気持ちは萎んでいった。
自分に「そこまで」課せなくなったのだ。

駆り立てられて生きることは、言葉のトーンが持つほど、悪いことではない。
動機が何であれ、必死に動いた分、何かしらの実益は周囲にも、そして自分にも与えることが出来た(気がしている)。

そして、「若さならでは」というか、「自分を確かめる」ために、自らの意思では出せない量、あるいは種類のエネルギーを放出していたことに、なんとも言えない充足感を得ていたからだ。

しかし、良くも悪くも、ふとこの「我に返る」瞬間を僕は迎えた。
(表現として不十分だが、世間では「落ち着く」とか「丸くなる」という言い方もすると思う)

まだ若いはずのに、その瞬間を迎えた自分の状態に、
僕は安堵感と、高く飛べなくなった鳥のような不安を同時に抱えている。

 

この感情は、どこから来るんだろうか。
これが本当の僕のあるべき姿なのか、はたまた、ただの逃避か。